スピード暗記 古代国家の歩みと東アジア世界
「●●●」をクリックすると、答えが表示されます。
政治改革
6世紀ごろの日本では、●●●や●●●などの豪族が反乱を起こし、争いが続きました。この争いを緩和するために女性の●●●が即位すると、●●●が●●●となり、●●●を中心とする政治制度を整えようとしました。
その中には、家柄にとらわれず、才能や功績のある人物を役人に取り立てようとした●●●の制度や、役人の心構えを示した●●●などがありました。
この時の中国では、●●●が巨大な帝国を作り上げていました。その制度を取り入れようと、日本は、●●●などの●●●を送りました。
聖徳太子は、●●●を広めるために●●●などを建立しました。これらの日本で最初の仏教文化を●●●といいます。
大化の改新
7世紀の初め、隋はほろび、新たに●●●が中国を統一しました。この頃国内では、蘇我氏の独裁的な政治改革に対する不満が高まっていたため、●●●と●●●(後の●●●)は●●●、●●●の親子を倒しました。また、それまで豪族が支配していた土地と人々を国家が直接支配する●●●が行われました。そのほかにも、中央集権化が目指されました。これらの改革を●●●といいます。
●●●は大津宮に都を移し、即位して●●●となりました。
天智天皇の没後、あとつぎをめぐって●●●と●●●が争う●●●が起こりました。これに勝って即位した天武天皇は、都を●●●にもどしました。
天武天皇の没後はその皇后が●●●として即位し、●●●京を造りました。
律令と新しい都
701年には唐の法律にならった●●●が作られました。この律令に基づいて行われる政治ををする国家を●●●といいます。
710年には唐の都にならった●●●京が造られました。この奈良に都がある時代を●●●時代といいます。この時代には、唐にならって●●●などの貨幣も発行されました。
人々の暮らし
戸籍に登録された●●●歳以上の全ての人々には●●●が与えられ、その人が死ぬと国に返す●●●が採られていました。人々は口分田の面積に応じて●●●を負担しましたが、この他にも特産物を収める●●●、●●●などの税や、兵役の義務が課せられました。
743年には人々に開墾を進めるため、●●●を出しました。この法により、農民は墾田を国に返す必要がなくなりました。
貴族や寺院の私有地は●●●と呼ばれるようになり、公地・公民の規則は崩れはじめました。
文化と新しい都
●●●天皇は唐に●●●をたびたび送り、国際的な文化を栄えさせました。この文化を●●●文化といいます。●●●の●●●には遣唐使が持ち帰ったとされるものが数多くあります。
聖武天皇は伝染病や災害の不安から国家を守ろうと考え、●●●と●●●を国ごとに造らせました。
●●●天皇は●●●年に都を●●●に移しました。鎌倉幕府が成立するまでのこの約400年間を●●●時代といいます。
朝廷は●●●の●●●の働きもあって、勢力を広げていきました。
9世紀の初め、遣唐使とともに唐に渡った●●●と●●●はそれぞれ、●●●、●●●という新しい仏教の教えを日本に伝えました。
●●●は遣唐使の廃止を訴え、それ以降遣唐使は派遣されませんでした。
10世紀になると、唐がほろび、新しく●●●が中国を統一しました。
新しい政治と文化の変化
平安時代には●●●氏が、娘を天皇のきさきにしてその子を次の天皇に立てて自分は●●●に就くことで勢力を伸ばしました。
このような摂政と関白が中心となった政治を●●●といいます。
貴族たちは●●●文化と呼ばれる日本人の感情に合った文化を生み出していきました。
11世紀には●●●が広まり、●●●などが造られました。