飛鳥・奈良時代

壬申の乱

天智天皇の死後、大友皇子(天智天皇の子)に対し、大海人皇子(弟)が後継者になろうと兵をあげたたため勃発した。 大海人皇子が勝利した。

聖徳太子

叔母である推古天皇の摂政となり、推古天皇の叔父にあたる蘇我馬子と協力してその補佐をした。 冠位十二階と十七条の憲法により、政治の安定を目指した。

蘇我氏

大和政権の中で大きな勢力を持っていた豪族。 仏教を受け入れるかどうかで物部氏と対立した。